2020年12月29日火曜日

【人には添うてみよ馬には乗ってみよ】の感覚:わたしの乗馬体験から

大阪のクラブで
次女は、障害飛越競技の部内競技会で2度優勝し、年間総合優勝を獲得しました。
その他の競技会でも数回入賞。
経路ミスやバーを落とし失権もありましたが、
ほぼぶっつけ本番で騎乗する馬であったのにもかかわらず、
ここまでの成績をおさめたことは、
今から思えばすごいことだったなぁと、感心してしまいます。

そのクラブでは、競技前に、競技で乗る馬になるべく多く騎乗し、
慣れることができるように、
練習時に指名するという制度が有料であります。

馬の知識がゼロの私は、
馬に乗ることができればどの馬に乗っても同じ、
指名するなんてお金の無駄と考え、
指名制度を利用したのはほんの数回でした。
今考えると、
可愛い娘を、あまり乗ったことがない馬と競技に出させるという、、、
あの時の自分の無知さに背筋が凍る思いです。

試合前日のある日、
次女が試合で騎乗する馬が故障し、次女が苦手な馬での出場が決まりました。
私は、勇気を振り絞って、次女のコーチに、次女はその馬は苦手だと言っているから、
別の馬にしてあげてほしいと、無理なお願いしたことがあります。

コーチは、
「では例えばどの馬が良いですか?」
と、たぶん、興味範囲で聞いてくださり、
私も当時、同じクラブで乗馬を習っていたのですが、
いろんな馬に乗った中でも素晴らしいな、と感じた唯一の馬、
「ベレノス」
と、即答しました。

次女は一度もベレノスに騎乗をしたことがなかったので、ベレノスは単に私の好みでした。
しかも、1度しか騎乗したことがない馬です。
乗馬がどういうものか全くわかっていなかった私でさえも、
ベレノスに初めて乗った時、
ベレノスの性格と私の性格の一致というか…
ベレノスがとてもまじめであるというか…、
と、いうかを即座に理解した感覚…、
そういった言葉でうまく説明できないことを感じたことは確かです。
いまだにその感覚だけは鮮明に思い出すことができます。

さて、
ベレノスは競技から遠ざかっていたそうですが、この時を機に、
競技の主力メンバー馬として復帰し、
次女はその試合でベレノスに騎乗することが決まりました。

試合では、
コーチが試し乗りの際、1本バーを落とし、
ベレノスを共有した他の子どもたちもベレノスが
途中で飛越を拒否したりして失権。
なんと、次女は一本もバーを落とさず1回目をクリア。
ですが、なんと、その後のジャンプオフで、
まさかの経路ミス。試合終了。。。。

と、なんとも残念な結果ではあったのですが、何がすごく良かったかというと、
ベレノスに乗った次女よりも、
ベレノスの素晴らしさが、次女が乗ることで一層素晴らしく見えたこと。

あの時の光景は今でも心に焼きついています。





2020年12月28日月曜日

【3回目の転機】長女ジュニアチームの選抜に落選し馬場馬術へ種目変更。


の続きです。

夫は海外赴任、私は週3日9時ー5時の仕事に、
週末の長野への5時間運転、という生活が限界に感じていた頃、
スピード違反で捕まったことで3回目の転機がやってきました。

長野のクラブへ毎週末通う生活を諦め
初めの頃お世話になっていた近場の乗馬クラブへ再入会を決めます。

長野で障害飛越を練習させてもらい、
比較的自由に騎乗させてもらえたことが良かったのだと思います。
娘たち二人は入会早々障害飛越のジュニアチームへの選抜テストに
参加してみないかと誘われ挑戦することになりました。

選抜テストの結果、
長女は、当時の私からするとまさかの落選、
次女は、当時の私からするとまさかの入選。

長女はそのクラブでお会いした運命の方々に誘われたこともあり、
クラブ内の馬場馬術のチームへ入ることが決まり、
次女は障害飛越のジュニアチームに入ることになりました。


ここからしばらく、次女は障害飛越競技に出場し、
長女は馬場馬術のことを学びながら時を過ごすことになります。

この時を境に、私たちの生活に、
馬場馬術という全く未知だった世界が、少しずつ入ってくるようになりました。

そしてまさか、ここまで深く馬場馬術という競技や、馬と、
真剣に関わる未来が来るとは夢にも思っていませんでした。


久しぶりに出場した障害飛越部内競技にて、長女16歳。



2020年12月26日土曜日

メリークリスマス2020!母の独り言

メリークリスマス!です。 

もう2020年も暮れようとしています。
みなさんの2020年はいかがでしたか?

うちは、コロナのロックダウンに加え
次女に関して言えば
予想通り、アップダウンの激しい、十分波乱万丈の一年となりました。

長女の時もそうだったのですが、
19歳という年齢は、
親元を離れたいし離れる自信がある、でも、、、自信ない気もする、
という中途半端な己に気づき自分自身に怒りさえ感じる、が、
親に対しての反発になる、
ような微妙な年齢らしいのです。

長女を見て思うことは、22歳にもなると
自身の生活を自分で支えることで世の中の仕組みを学び、
人という生き物がもともといかに理不尽で繊細なのかにも薄々気づいてゆき、
それはもしかして自分の親であっても同じか、と、自問自答し、
では今までの親の理不尽さも許容範囲とみなそうか、と、諦め、
次第に頼もしさを増していくように思います。

長女と真正面から向き合った経験から私たちが学んだことも多く、
次女は随分得しているな、と、思うことも多いです。

クリスマスの朝からの次女とのFaceTime通話での、
ある話題においての意見の不一致からの気まず〜い雰囲気も、
あと3年の辛抱と言い聞かせて乗り切りました。
私たちも随分大人になりました。

来年は次女はどんな成長ぶりを見せてくれるのか、
こんなに大々的にブログに彼女の人生を投稿している私としては
嬉しくて楽しい話題だけが続くことを願っていますが、
まぁ、そうもいかないことはすでに覚悟しています。
ブログが途切れた時は、
なんかあったな、
と、勘ぐっていただいて結構です。
その勘は多分当たっています。

年末までにはまだ時間がありますが、
それまでにもう一度次女と話し合い、
させてもらえるのであれば今年も、
なるべく静かに次女に気づかれない程度に、
次女の馬人生の伴走役を担いたいと
やる気満々の母です!

どうぞ2021年もよろしくお願いいたします!






2020年12月21日月曜日

【オーストラリアに来てから】いろいろありましたが助けてくれたのもまたオーストラリア人

いろいろあったのは確かです。
ですがまた、次女を助けてくれている人たちももオーストラリア人でした。

次女が高校をやめて馬術の世界に入りたいと言った時に、「大歓迎!」と言って拾ってくれたのはオーストラリアでは名が知れた馬場馬術選手の元上司です。

私は不安があったものの次女の決断に賛成しました。ですが夫は、次女がキャンベラの私立の高校に編入が決まっていたこともあり、これを蹴って高校をやめるという決断には納得がいかないようでした。

そこで、次女が夏休みにアルバイトをしていた厩舎の上司が、次女を雇ってくれるのであれば賛成するという条件を出しました。多分無理だろうと思って、、、ところが上司の答えは
"Of course!"こちらの気が抜けるほど大賛成してくれ、次女を雇ってくれました。


敢えて選択肢を狭めひとつの目標に目を向ける、という人生もありだと思います。

先進国に生まれたり裕福な親の元に生まれると、それだけで選択肢が増えますが、人生は選択肢が多いからと言って幸せになるとは限らないかもしれないと、次女の決断には、私もいろいろと考えさせられました。
人生において、それぞれが目指すのは「幸せ」というゴールであって、その「幸せ」の基準は人によって違うはず。
次女が自分の「幸せ」の基準を見つけたことを、私達親は祝福すべき、だとも思うようになりました。

次女の幸せへの追及を次女と共に喜び、時には優しく時には厳しく見守ってくれたオーストラリアの方々に感謝しています。

出演はしてませんが、横で二人の上司達から指導を受けながら、へっぴり腰で馬場馬術の技の練習をしている16歳の時の次女の動画を投稿しました。







2020年12月18日金曜日

【人種問題の当事者になり学んだこと】オーストラリアで受けた差別的な発言に反応した日

移民が作ってきたオーストラリアという国家は歴史的にはまだ新しい国です。
最近までは、アジア系、アボリジニといわれるオーストラリア先住民、
キリスト教徒以外の白人に対する差別も多く見られました。
今は人種差別が全くないという状況ではありませんが、
メディアを見ても、差別を無くすように改善がされてきているのは明らかです。
とはいうものの、親切な人の方が断然多いことはここに明言いたします。

2000年前半のオーストラリアにおいては、
1997年に香港が中国へ返還された事による、
香港出身の中国人の不動産購入と、移民が増えました。
当時大きくメディアで取り上げられ、
近所に住む高齢の人たちから、不満を多く聞かされたのを覚えています。
私は日本人だから別、という感覚で言っていたのでしょうが
見た目的にはもちろん日本人の私もアジア系という括りに入ります。
当時の私はそれこそ微妙な気持ちで聞いていました。

それがたかだか十数年前のことです。

馬術はヨーロッパで確立されてきたスポーツ、馬と織りなす芸術。
特に馬場馬術の世界では、馬の素晴らしさもさることながら馬と騎手というコンビネーションのヨーロッパ基準の見た目の美しさも点数に影響することも多い気がします。

そのようなこともあり、
人種に関する、特に、容姿や見た目に関しての発言は、
オーストラリアに来てから特に、次女は敏感になっていたようでした。

次女は、一度、一緒に働いている大人から
いかにもアジア系をターゲットとした面白くもない冗談を言われたことがあります。
非常に傷つき、その場で大泣きし、怒りがおさまらず、
遠方でグルームとして付き添っていたものの、その場で辞めると大騒ぎし、
歩いて帰ると電話をしてきました。
とりあえず落ち着いて上司に話すよう言葉をかけ、
夜が明ける前、車で3時間かけて運転し迎えに行きました。
次女が17歳の時です。

その後、

これがオーストラリアの馬術界の本性かと落胆し、私が逆切れ。
今までで自分史上最高の「やめろ!やめろ!」コールを次女に試みましたが、
私の意に反して、次女は、仕事を中途半端にしてしまったことを反省、、するという…。

結局、相手は次女に平謝り。
今後そのようなことがあれば、他の人に相談するなどし、
コミュニケーションで解決していけるようになって欲しいと、
上司に説得され、両者話し合いの末、納得、決着しました。

実は、相手には悪気は全くなく、
冗談を言って、寡黙な次女を笑わせようとしただけだったそうです。
(ほんとか〜?!と、小さい私は、突っ込みを入れたくなりましたが。)

次女もこの経験から、
冷静に物事を判断することの大切さや
不満や納得がいかないことは、相手と話し合いを持つことでお互いの気持ちを知り、
解決する方法があるのだということを学んだようでした。

感情を抑えることは何よりも大切だと思い知らされ、
この頃から、
馬に対する自分の感情には特に気をつけるようにしている気がします。

ですが、この後、
何よりも大変だったのは、
次女より私の心を鎮めることでした。
私の不満は全てオーストラリア人の夫に向かい、
当時夫はマレーシアに単身赴任していたのですが、
一緒にいなかったことが、夫にとっては不幸中の幸いとなりました thanks(泣笑)。

数日後には、新たな気持ちで次女は仕事に取り組みはじめたのに対し、
私はまだ悶々と思い続ける始末。
今では笑い話となりましたが当時は真剣に
なぜか私が悩んでいました。

この経験から、私は、忘却力は本当に大切だということを学びました。

高校時代、アルゼンチンのポロチームの手伝いをした時の一枚



2020年12月17日木曜日

【自分を信じることの大切さ】オリンピックへの夢、、、

ある日次女から電話があり話していると、

次女「ママ、どうしたらインターナショナル試合に出れる選手になれるんだろうね。」
私「そうだね…。」
次女「どんなに頑張ってやっても、良い馬も必要だし、、、お金もたくさんないと、外国なんかへ遠征にも行けない…。今はそんな馬に乗れるチャンスもないし、、
問題のある、将来売られる馬に乗ってるだけだし…。」
私「…。」

これもない、あれもない、、、ないない尽くしで
思考がかなりマイナス寄りです。

私たちに資金力がないのは知っているので
職場の厩舎に、10代のお金持ちの子が親と馬を見に来て、
1000万円級の馬をさらりと買っていく姿を見て
途方に暮れてしまったのかもしれません。
 

「何事も、好きなことややりたいことを、本気出して一生懸命やれば、絶対に何かが起こるから。だから、本当に馬場馬術のオリンピック選手になろうと思うんだったら、なれると信じて、毎日頑張る。まだまだ知らないことも多いだろうから、焦らず、じっくりと、足元をみて人生歩く。20代後半になるか30代後半になるか40代になるかわからないけど、自分を信じて進めば、きっと何かが起こるから!大丈夫!」

と言って叱咤激励してみたものの、本当に大丈夫だろうかと、一番心配しているのは多分私です。やめたいのならいつでもやめてもいいように、高校の資格を取ることができる専門学校への入学日を常に意識し、どういう風に別の未来へ導いていけるか、日々思考を巡らしています。

次女に言いたいことは、
いつでもやめていいよ〜!ということです。





2020年12月16日水曜日

【元競走馬の調教】【YouTubeへ動画投稿しました!】ジプシーとの7ヶ月を振り返って

元競走馬のジプシーが次女の元へやってきたのは今年2020年2月です。
ジプシーは、次女の元に10月までおり、11月、
イベンター(総合馬術馬)として売られました。

次女の手元にきたばかりの時は
何にも動じない、どちらかというと動きも感覚も麻痺しているような
大人しい馬でした。
洗い場でも動じず、木々のざわめきや大きな音にも無反応。
暴れ馬を多く任されていた次女は、
とにかく大人しい馬を選びたかったようです。

初めの頃は、
駈歩ができないと言って次女は嘆いていました。
馬体への合図自体にも無反応、無繊細。
筋肉も衰えていたので頭は下がりっぱなし、
体も痩せていました。

毎回の食事にサプリを加え、
筋肉をつけるべく運動をさせ、
馬の整体師を呼び馬体を整え、
少しずつ少しずつ動きが安定するように教えていったようです。

感情的にならず心静かに、良い時は良い、悪い時は悪いと教え、
ジプシーに鞭は怖いものではないと少しずつ教えるため
鞭とおやつを使って楽しい時間を作り、
コーチがいなかったことで自分なりのやり方で自由に
調教していった結果7ヶ月後、
十分素晴らしい馬になったと喜んでいました。

7ヶ月調教後の動画をYouTubeに投稿しました。

多くの成功しなかった競走馬が乗用馬として再調教され
たくさんの人に愛されていく人生を歩めていけるといいなぁと思います。


ジプシー 牝馬6歳
父 Bullet Train(イギリス)
母 Gypsy Battalia  母方の祖父 Agincourt(アメリカ)

2020年12月15日火曜日

【自馬のロミに繁殖を試みた時】のはなし③ ロミを手放す決意 2019年

いよいよロミの排卵が始まりました。
2019年暮れのことです。

まずは獣医で、ロミが妊娠可能かどうかを、検査で確認してもらいました。
正常であることがわかると、大体の次の排卵日を割り出してくれ、
その日が近づきロミの様子に変化を見るとすぐ、友人たちの協力のもと、
ロミを獣医へ搬送しました。

獣医では
3、4日に渡りエコー検査が行われ、
排卵が始まる直前を待ち、人工授精が行われましたが、
次女は立ち会っているわけではありません。

人工授精が行われた後、獣医から連絡があり、
次の日には連れて戻りました。

そして5週間後、
受精したかどうかを確認するため、
もう一度受診しエコー検査を行いましたが、
受精は確認されませんでした。

エコー検査を行った際、
ロミは両方の卵巣から同時に排卵されていることもわかりました。
受精が成功した場合双子になる可能性もあり
そうなると難産などのが危険性も高まることから
胎児を減らすなどの処置が必要になるかもしれない、
と、言われた時に、
まず私の脳裏をよぎったのは、それに関わるコストでした。

受精が成立しなかったと聞いた時は
私も次女もとても落胆し
ブログにも何も書けない状態でしたが、
今思えば
あの時はその結果で良かったのかもしれないと
思ったりもしています。

その後、ロミを手放す心の準備もでき、
結果的に、馬を放し飼いにして飼育しているオーナーも見つかりました。
あざとく、もしや高く売れるかも、、
と、少し期待していた私たちには、
一銭の見返りもありませんでしたが
ロミを持つことでたくさんの経験を積むことができ
本当に感謝しています。






 

 


2020年12月14日月曜日

【YouTubeに動画を投稿しました】馬アンと過ごした1年

YouTubeに動画を投稿しました。

次女が気に入っていた
アンという馬との動画です。

今年初めまで働いていた厩舎では
6、7頭の馬を担当をしていました。
その中には、乗るのに危な過ぎて誰も調教まで時間を割けなかったので、
下っ端の次女に回ってくる、
という馬も多くいました。
その馬の中にいたのがこの牝馬アンです。

牝馬が気分屋で、セン馬より気性が激しく、
ただ、一旦手なずけると、感情的な力を動きに持っていく性質があるので
とても好きという派と、すごく苦手という派に別れるようです。

セン馬は去勢の影響か、性格も、動きも、筋肉のつき方も
去勢しない牝馬やスタリオンに比べると差が出るような、、、
個人的にはそういう気がします。

ですが、世界的に有名なシャーロット・デュジャルダンの相棒は
セン馬のヴァレグロ↓でした。
なので、一概には言えないんですね、きっと。

牝馬も仔馬を産むと
性質が変わる、と言われています。
ただこの説も一概には言えないようです。

アンも気性が荒い馬でした。

アンを担当した時は
自馬のロミの調教も日々のルーティンにあり、
気性が荒くて周りが翻弄されていたポニーも任されていた時期でした。
次女18歳の時です。

ロミやポニーから学んだことを教訓にし、
自分の感情をコントロールしていくことを実践しながら、
気性が荒い牝馬と言われたアンは
少しずつ
次女が思っていた以上に手応えを示してくれたそうです。

まだまだ次女の乗り方も荒削りですが
これから出会う馬や人によって多くを学び
彼女自身も良い方へ変化していくことを願います。


アンは昨年末に新しいオーナーの元へ。
今後活躍してくれることでしょう。

2020年12月12日土曜日

【転機2】夫が中国へ単身赴任

次にやってきた転機は夫の中国赴任です。

娘たちもようやく日本での生活に慣れ
犬2匹に猫1匹の大所帯になっていた我が家に
家族揃っての中国への移住は正直なところ難しいと、判断しました。

夫がいざ不在となると、
週末家族で出掛けるなどのイベントの企画や移動など
夫に頼っていたこと全て、
私がやらなくてはいけない。
夫が不在の中で、
一体何をしたら娘たちと有意義な時間を過ごせるかを考えた結果、
私も乗馬を始め
3人で、馬を共通の話題にし
楽しく成長していこうと決めたのです。

そこから兵庫県のクラブへ、その後、同県明石市にあるクラブへ、
その後、長野県のクラブへ、と、娘たちの上達とともに、
娘たちの可能性を最大限に生かしてくれそうなクラブへと、
出会った方々の導きと、娘たちと私のフィーリングを信じて3人で話し合い、
クラブを変えていきました。

今でも笑い話ですが、兵庫県のクラブに通い始めた時は、
次女と私は同じレベルだったんです!



2020年12月11日金曜日

【転機1】導かれるようにここまできました。

YouTubeチャンネル登録者数が8名となりました!
ご登録ありがとうございます!
そしてブログもたくさんの方に読んでいただき大変嬉しく思っています。
ありがとうございます!

これから次女の行く末がどうなっていくのか想像もつきませんが
日本で育んでいただいた馬とのご縁が、
日本語のこのブログや日本語のYouTubeチャンネルを通して、
続いていることを知っていただき、
馬の世界に無縁な私たち親の、彼女の未来への心配と不安を
おこがましくて申し訳ない限りですが、
直接見えずとも、たくさんの方々の支えとともに乗り越え、
私が今できることがいろんな方たちにつながることで、
未来の彼女の心の支えとなっていってくれること、
ただそれだけを願っています。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


夫の仕事の関係で京都に住んでいた頃
母が住んでいた長野のショッピングモールで何度かポニーに乗った時すでに
次女の心はすでにプロの馬乗りになると決まっていたようです。

京都では何度も乗馬を始めたいとせがまれたのですが、
絵画教室に通わせ、ピアノを習わせ、
次女の気持ちは一時的なものと思い、見過ごしていました。

1回目の転機は次女が9歳の時にやってきます。

次女が9歳の時
長女が大阪の学校へ転校することになり
家族で大阪へ引っ越すことになりました。
その家の近くに乗馬クラブがあり
次女の懇願に負けた形で
長女もいっしょに乗馬を始めたのが転機となりました。

ここからは、人との出会いや、
馬との出会い、そして
家族の転機などが偶然に重なり、
私は馬のことは何もわからないので、
知り合った方々の意見を聞いたり、
どうしようかと悩んでも、できる範囲内で解決したりうちに
今に至ることになります。



自分自身と次女へ
これらの出来事すべてに対して感謝の気持ちと
謙虚な気持ちを忘れないこと。
自戒を込めてここに記す。

2020年12月10日木曜日

【自馬ロミに繁殖を試みた時】のはなし②

まずはロミの血統からなるべく離れている血統の種馬を見つけることから始めました。

ロミの元の血統、レガルデモアは、ルビンロイヤルに繋がっているので、
1. ルビンロイヤルに繋がる種馬は無し
2.気性が荒いと有名な馬は無し
3. いいなぁと、直感で好きな馬は有り

と、結局は直感に頼り、
いろんな人の意見も取り入れつつ、決めた種馬がこの馬です↓

シークレット(Secret)

今、ヨーロッパでもオーストラリアでも注目されている種馬です。
まだ種馬としてのデビューが浅いことから、シークレットの血統の馬の経歴はあまり良く知られていませんが、
動きが素晴らしいということで、
オーストラリアでは仔馬も高値で取引されています。
*お金に結びつけるのは何とも遺憾なのですが、一情報として記しておきます。

馬が決まったら、種馬の種の輸入を検討することにしました。

オーストラリアにはシークレットの種を輸入している方(業者と呼ぶには小さい…)がおり
彼女にメールで連絡。
その後、入金。
しばらくしてその方から種がドイツから届いたと連絡があったので
キャンベラの馬専門の獣医に電話し、その旨を伝え、
冷蔵保存の依頼とロミの種付けのアポイントを取りました。

種付けの時期を見極めるためのエコー検査
種付け前のエコー検査
種付け
全てセット価格になっていて、肝心な費用額をすでに忘れてしまったのですが、
驚くような価格だろうと覚悟していたら案外そうではなく(確か12万円前後)
*5万円と書きましたが誤りです。
種付けが約12万円
エコー検査は1万5千円くらいだったそうです。
すみません^^;
私が驚いた記憶があります。
ですが、妊娠期間もし何か異常が見つかったりし、獣医にかかる場合は
それ以上の請求がくることは間違いありません。

送られてきた種は
実物を見てはいないのですが、上の写真にあるように届いたのだと思います。
ストローと言い、
6本のストローが送られてきたと言っていました。

*上記の手続き全て次女が行いました。

つづく

2020年12月8日火曜日

【自馬ロミに繁殖を試みた】時のはなし❶

馬が、馬術、等のスポーツなどに
使用される場合、
怪我の心配はつきものです。

馬場馬術においては
重種(Warm Blood)と言われる馬が
多く用いられます。
世界大会ともなると、この種類の馬の出場が普通で、サラブレッドなどの
馬の出場はほぼ皆無になると思います。

私たちが初めて手に入れた馬のロミはオーストラリア国産馬。
父馬sireのスタリオン(雄馬)は、
ドイツからオーストラリアに輸入されたレガルデモア(Regardez moi)。
母馬damの雌馬は、メダリオンといいサラブレッドが4分の1入っているオーストラリア国産馬です。

レガルデモア↑

ロミの姉はアメリカでグランプリ馬として活躍しているロサチャW。



顔も体型もロミにそっくりです。
ロサチャは、syndicateという組織が組まれていて、オーナーシップを複数の人が
持つという非常に恵まれた環境で育成されており、オーストラリア人の総合馬術トップ選手の妻であるドイツ出身の馬場馬術の選手が調教をしています。

そんな事をいろんな記事で読み、
私たちの期待を背中いっぱいに抱え、
ロミも期待に答えてくれました。


が、しかし、

若かった時の調教が影響したのか、
それとも、もともとの体型に馬術には適していないものがあったのか、
私たちが所有した短期間に、幾度もの原因不明の身体の不調(英語で lame と言います。)を
繰り返し、数ヶ月の運動休止の末、これ以上の運動をさせることを諦め、
繁殖を試みることにしました。


うちの馬の不調は私たちが購入する前からあったようだということも
あとで、わかりました。
騙された?とは、言いたくないですが、
あえて売主は言わなかった、のかもしれません。

本当の意味での良い馬、
年齢が6、7歳で、重種で血統も良く、動きも良く将来性があり、洗い場でも大人しい、
は、オーストラリアでは、
5万ドル(500万円前後)はします。
うちの馬はその半値だったことを
考えると、相手もそれを承知で購入したと、
都合よく考えたのかもしれません。

馬を良く知らない人が海外で馬を購入する際は、
知っている人(知人であればなお良いと思います。)
に依頼し、購入するのが良いと思います。

それでも急な体調不良や体調変化があるのですから、
馬に関しては、慎重になったとしても、
結局のところ、お互いの相性と、どれだけその馬と縁があるか、
ということになるのかもしれません。

話が飛んでしまいましたが、
繁殖については、
次女の話を聞くことで、私でさえもたくさんのことを学んだので
備忘録としてもその時のことをこれから数回にかけて投稿しようと思います。

よろしくお願いします。


2020年12月5日土曜日

ロミと次女がハーフステップを練習している動画を投稿しました。

ロミ(元自馬)の調子が最高に良かったのは2019年の半ば頃だったでしょうか。
次女を喜ばせたい、頑張りたい、というロミの姿勢も見えた頃でした。
パートナーとして組んで2年以上になり、
やっとこれから、という時の動画です。

以前ブログにも書いたのですが、ロミは、絶不調と絶好調を繰り返し、
ドクターストップがかかることも頻繁にありました。
馬専門の整体師に見てもらったり食べ物を変えてみたり、自然セラピーなど、
色々と試しましたが、体調が良いという時期がなかなか続かず、
今後のことを考え、
2019年9月、次女が18歳になった誕生日に、
私たちと、本人と、厩舎の仲間がお金を出し合い、
ドイツからシークレットという種馬の種を輸入し
繁殖を試みます。

繁殖の時の内容はまた今後ブログに投稿していこうと思います。

動画は、速歩を詰められるようになってきた時、
ハーフステップの練習へと進み、
このままハーフステップができるようになればピアッフェへ進めるね、
と、ロミとの明るい未来の展望を話していた頃です。

短い動画ですが、音楽もつけてちょっと楽しく編集してみました。







2020年12月3日木曜日

過去の怪我の数々

高校を中退し、厩舎で働き始めた頃、アクシデントによる怪我が続きました。

馬の手入れ中に馬に蹴られ鼻を骨折。

騎乗中に馬が暴れ頭を上げ、馬の頭が次女のヘルメットを止めるバックルの部分を直撃。
その衝撃で上の歯が下唇に食い込み、唇裂傷。

馬の手入れ中に馬に足を踏まれ、甲を骨折。

こないだは、ポニー騎乗中に転倒し、幸いポニーから投げ出されたので良かったですが、それでも身体を地面に打ち付け、いまだに痛みが続いています。

はあああ…

救急病棟の先生も、3度目には、
「もしかして、神様は君に何かを言おうとしてるんじゃないのかい?辞めたらどうか?と。」

冗談とは言うものの、実は私もそう思ったので、
高校へ行き直してみてはどうかと、話し合いを何度もしましたが、
答えは ”NO" でした。

結局のところその人生を生きていくのは次女です。

どういう結果になろうと、後悔しないためには、自分で自分のやりたいこと、やろうと思っていることを自分で決め、実行する。
人生フルに生きてほしい。
何をやっても人生は大変なものだから、どうせならやりたいことをやってほしい。

私の意見なんて聞いて欲しくない、、、いや、聞くべきではない。

わかっていますが、、、、でもたまには聞いて。
と、行ったり来たりする、葛藤の母です。

もう、次女も19歳。
どういう道を歩んでいこうとも、もう、私も何も言うつもりはありません。
と、潔くいきたいところですが、、、、葛藤続いてます。



2020年12月2日水曜日

元自馬ロミの調教前、調教後、の動画を投稿しました。

ロミには随分と泣かされた次女ですが、
調子の良い時は、
もしや買った時の2倍で売れるんじゃないか!?
などと、邪な考えが浮かんだりすることもあるくらい(親が)
良い動きをする時もありました。

この馬をオーストラリアで手に入れたばかりの時は、
次女も馬に乗ることはできても、
馬とパートナーシップを組むとは一体どういうことなのか、、、
よくわかってなかったところもあります。

残念ながら一番肝心なところを日本では学ばずにいたことで、
騎乗者としての未熟さが露呈し、
大変苦しみました。

日本で乗っていたのはドイツの重種馬。
馬場馬術をするにあたり、馬は重種馬でなければいけない、、
幼く未熟ながら、こんないらないエゴまで持っていました。
持たせた親が悪い。その通り、反省しきりです。

日本では、試合の前の下乗りはコーチがします。
この下乗りで、馬はいくらでも変わります。
これさえ、本人はやったことがなかったのですから、
今から思えば、何もわかってなかったです。

この私たちが持っていた変なエゴや誇りを、
全て覆してくれたのが、この馬、ロミです。


一番ハードな方法で次女にそれを説き、
次女の苦しみを通して、私にいろんなことを教えてくれた馬です。

今は引退しましたが、
私たちには心の宝を授けてくれた
本当に素晴らしい馬でした。



馬とのコンタクトがある、ない、とはどういうことか。

ビフォー動画(次女が通っていた全寮制の学校での試合の様子)
と、
アフター動画(手放す前、次女が高校を辞めてライダー2年目に撮影された動画)
を見ると、
一目でわかると思います。

ビフォー

アフター



2020年12月1日火曜日

オーストラリア首都キャンベラ:青空の下で、元競走馬を調教する次女の動画

YouTubeに動画を投稿しました。
お時間があればぜひ。


次女ですが、今日職場復帰しました。
4頭、騎乗したそうです。
首は大丈夫なんだろうか…。

オーストラリアは、今、夏で、
首都キャンベラは海岸から車で3時間弱
内陸へ入ったところに位置しています。
街は、シドニーやメルボルンといった大都市と比べるととても小さいですが、
人工的に作られた湖を中心として
政府機関や国の施設が美しく建ち並んでいます。

市内中心部パーラメントハウス(国会議事堂)までの道路

公務員の街といっても過言でなく、
アメリカのワシントンDCと同じです、、、が、もちろん国が小さいので小規模です。

首都キャンベラは、NSW州に隣接しており、車で30分ほど郊外へ出ると
そこはもう野原、ブッシュ(林)や農場です。

そういった地理的なものと、
公務員が多く比較的富裕層が多いので、
キャンベラの乗馬人口も、割合からすると多いような気がします。