2020年12月18日金曜日

【人種問題の当事者になり学んだこと】オーストラリアで受けた差別的な発言に反応した日

移民が作ってきたオーストラリアという国家は歴史的にはまだ新しい国です。
最近までは、アジア系、アボリジニといわれるオーストラリア先住民、
キリスト教徒以外の白人に対する差別も多く見られました。
今は人種差別が全くないという状況ではありませんが、
メディアを見ても、差別を無くすように改善がされてきているのは明らかです。
とはいうものの、親切な人の方が断然多いことはここに明言いたします。

2000年前半のオーストラリアにおいては、
1997年に香港が中国へ返還された事による、
香港出身の中国人の不動産購入と、移民が増えました。
当時大きくメディアで取り上げられ、
近所に住む高齢の人たちから、不満を多く聞かされたのを覚えています。
私は日本人だから別、という感覚で言っていたのでしょうが
見た目的にはもちろん日本人の私もアジア系という括りに入ります。
当時の私はそれこそ微妙な気持ちで聞いていました。

それがたかだか十数年前のことです。

馬術はヨーロッパで確立されてきたスポーツ、馬と織りなす芸術。
特に馬場馬術の世界では、馬の素晴らしさもさることながら馬と騎手というコンビネーションのヨーロッパ基準の見た目の美しさも点数に影響することも多い気がします。

そのようなこともあり、
人種に関する、特に、容姿や見た目に関しての発言は、
オーストラリアに来てから特に、次女は敏感になっていたようでした。

次女は、一度、一緒に働いている大人から
いかにもアジア系をターゲットとした面白くもない冗談を言われたことがあります。
非常に傷つき、その場で大泣きし、怒りがおさまらず、
遠方でグルームとして付き添っていたものの、その場で辞めると大騒ぎし、
歩いて帰ると電話をしてきました。
とりあえず落ち着いて上司に話すよう言葉をかけ、
夜が明ける前、車で3時間かけて運転し迎えに行きました。
次女が17歳の時です。

その後、

これがオーストラリアの馬術界の本性かと落胆し、私が逆切れ。
今までで自分史上最高の「やめろ!やめろ!」コールを次女に試みましたが、
私の意に反して、次女は、仕事を中途半端にしてしまったことを反省、、するという…。

結局、相手は次女に平謝り。
今後そのようなことがあれば、他の人に相談するなどし、
コミュニケーションで解決していけるようになって欲しいと、
上司に説得され、両者話し合いの末、納得、決着しました。

実は、相手には悪気は全くなく、
冗談を言って、寡黙な次女を笑わせようとしただけだったそうです。
(ほんとか〜?!と、小さい私は、突っ込みを入れたくなりましたが。)

次女もこの経験から、
冷静に物事を判断することの大切さや
不満や納得がいかないことは、相手と話し合いを持つことでお互いの気持ちを知り、
解決する方法があるのだということを学んだようでした。

感情を抑えることは何よりも大切だと思い知らされ、
この頃から、
馬に対する自分の感情には特に気をつけるようにしている気がします。

ですが、この後、
何よりも大変だったのは、
次女より私の心を鎮めることでした。
私の不満は全てオーストラリア人の夫に向かい、
当時夫はマレーシアに単身赴任していたのですが、
一緒にいなかったことが、夫にとっては不幸中の幸いとなりました thanks(泣笑)。

数日後には、新たな気持ちで次女は仕事に取り組みはじめたのに対し、
私はまだ悶々と思い続ける始末。
今では笑い話となりましたが当時は真剣に
なぜか私が悩んでいました。

この経験から、私は、忘却力は本当に大切だということを学びました。

高校時代、アルゼンチンのポロチームの手伝いをした時の一枚



0 件のコメント:

コメントを投稿