9歳で、将来プロの乗馬選手になると言い出し、乗馬クラブで乗馬を始めた我が家の次女。13歳から障害馬術競技に参加し始め14歳で全日本馬場馬術大会チルドレン部門入賞。15歳で、父親の母国オーストラリアへ単身で渡り現地で調達した自馬を持つが…現在19歳の次女の、波乱万丈の馬との人生物語を母目線で書いています。
2024年8月10日土曜日
最後の投稿から1年も経ってしまいました…
2023年9月28日木曜日
泣いていたのもつかの間…始まります!
泣いていたのもつかの間。
終わった、これで最後😭と…
ローワンを手放すと聞いたときは
今までの出来事が脳裏を走馬灯のように駆け抜け
泣いた泣いた、、、わたしが。
安定した仕事に就くとのことで就職活動も始め、
順調にローワンの買い手もつき
悲しい反面、これで普通の人生を送れるのかなと思い
夫と安堵したことも確か。
今まで次女の人生の全ては馬を中心に回っていた。
日本に来ることも17歳以来叶わず。
休暇もとらず、友人関係も全て馬つながり。
馬関係者にアジア系が入ってないことを見破られては不利と
髪を金髪に染め上げ、日本人であることを否定したがった。
私が厩舎へ来ることは嬉しそうではあったけど、
私が見たまんまアジア人であることで次女に嫌な思いをさせないだろうかと、
馬を見に行くたび母である私が萎縮した。
差別される=変えられない自分を受け入れてもらえない気持ち
とはこういうことかと。
最後働いた厩舎では『もうダメだな』と…
お互い口に出してしまえば絶対に次女は苦しくなるだろうと
思うような辛いことや納得がいかないこと嫌なことが次から次へと起きた。
今から思えばそこが転機となった。
次女は、方向転換を試み、いろんなことに挑戦した。
なんとか着地点を見つけようと探っていたんだろうなと思う。
大学は経営学部に入学したけれど
働くと言い一年後休学。
ローワンを売ってすぐ不動産会社に職を得て現在フルタイムで勤めています。
自分の時間ができたことや金銭面の不安もなくなり
今年の夏、私たちが住んでいる東京へ5年ぶりに来日。
私の母にも会いに新潟へ。
7月の異常な暑さの中の来日。
たった1週間の短い滞在でしたが
自分を育んでくれた日本という国に感謝の気持ちや
日本人でもある自分を肯定する気持ち、
今の自分があるのは日本で出会った数々の人との出会いの中で生まれたんだと
馬を通して本当にたくさんの方に助けてもらいながらここまで来れたんだと
そういう気持ちを伝えてくれて
帰り際、次女、羽田で号泣。
彼女の人生における一つの章が終わったなと、、、
わたしの中でも、何かが終わったなと感じた1週間でした。
オーストラリアでは嫌だと感じる出会いばかりがあったわけではありません。
馬を通した中で、良き友を得たり、
日本にい続けていたら得ることができなかった知識や、
オーストラリアで自分の常識が全く通用しなかったからこそ生まれたど根性。
どれだけ馬が好きなのかということも試されたと思います。
わたしも結構放ったらかしでした。
悔やむこともありますが、、、いやいや、、、
わたしは次女がいつ辞めてもいいからという気持ちがあったからこそ
手を出さなかったこともある。正当化しすぎかな?まぁいいや。
そんなこんなで第何章かわかりませんが
次女と相性が良い牝馬と新たなスタートを切ることになりました!
7歳。牝馬。オーストラリア国産馬。165.1cm。
父 Questing R (オーストラリア国産馬)
母 Regardez moi 系(一番初めに自馬として迎え入れたROMIの父)
2023年7月16日日曜日
もうダメだ…泣いた でも乗馬は人生長く続けられるスポーツ
乗馬は長く続けることができるスポーツだ。
次女は14歳で日本を離れ、16歳で高校を辞め、16歳からオーストラリアのステーブルで働き始め、18歳になる前にライダーとして多くの馬に騎乗し、いつかオリンピックに出る!と、決めて頑張ってきた。
でも22歳を目前とし、他の子達が安定した仕事に就き、安定した人生を送るのを見て、心の変化があったようだ。
20歳で大学に入学し、馬を持ちながら勉強し始めた。コロナの頃だ。
そして今年、21歳になり愛馬ローワンを売ることを決意した。
ローワンは3歳から大事に育ててきた馬だ。ローワンとともにコロナを乗り切り、ローワンが次女の心の支えとなり、ローワンが希望だった。でもどんなにローワンが将来の可能性を秘めている馬だとしても、資金(親としてごめん)や生まれ持ってきた資質、それを伸ばしてあげることができる潤沢な資金(やっぱりここ大事)が、うちには無い。
次女の馬に対する希望が切れつつある今、健康で、学習するには最適な時期を迎える6歳という年齢は売り時か、という判断となったようだ。
2022年1月29日土曜日
さてどうなることやら…あと6本残っている”秘密”の凍結精液ストローの使い道
2022年1月3日月曜日
あっという間に2022年:新年あけましておめでとうございます。
2021年も変化の多い1年となりました。
変化が多いと言うことは、たぶん、
それだけ一生懸命に何かを追いかけている証拠なんだと思っています。
次女も無事8月に20歳を迎え、
私の役割も、話を聞いて相槌を打つ、
というように変化していて、
彼女が自分の人生の舵を取り歩んでいくことを、
傍から見守ることに徹していかねばと、
私にとっても試練と我慢のしどころであります。
私の唯一の楽しみは、このブログとYouTubeに、
次女が送ってきてくれた動画や写真で許可が出たものを上げ、
いつでも見れるようにしていること。
このブログもYoutube も一般公開していますが、
フォローしてくださっている方々には感謝とともに
私と楽しんでくださっている事に、
私自身が仲間を得た気持ちで嬉しく思っています。
昨年2021年年初めに購入したローワンもだいぶ上に伸びる成長が止まり、
食べた分が脂肪となりやがて筋肉となるような
そんな体形になってきました。
それまでは、食べても食べても上に伸びるだけで、
見た目がガリガリという状態でした。
2021年7月22日木曜日
11年後ブリスベンでオリンピックが開かれます!決定!
ここオーストラリアでは直近のシドニーオリンピックに次いでの開催と、
とても盛り上がっています。
2021年7月16日金曜日
母、徒然、、、もうすぐ20歳の次女に思うこと
2021年6月21日月曜日
戦略なしでは続かない、、、と、思われます。
2021年6月17日木曜日
持つべきものはコネクション
2021年6月16日水曜日
近況報告ー久々の投稿です。
オーストラリアに来てから早いもので丸4ヶ月経ちました。
昨年もあっという間でしたが、今年も同じくあっという間に時間が過ぎています。
私は、過去いろんな所に住んでいますが、この特殊な時期に「住む国を変える」ことは予想以上に、身体にも精神的にも負担がかかることを実感しました。今やっとこの生活リズムに慣れてきたような気がします。
メルボルンに住んでいる長女とも、メルボルンが最近またロックダウンになったこともあり、自由に会えずにいますが、本人はとても元気に過ごしています。
次女は、昨年7月から雇用されたステーブルで未だに働いており、時にクライエントにレッスンをつける日もあるようです。また、オーナーをはじめ、皆さんにお世話になりながら、オーナーに所有されている4歳馬で試合も経験しました。ただその馬が(自分が普段からトレーニングしている)ポニーだったので文句を言っていましたが、4歳馬のテストで70%を初めて超え、60%台の壁を超えた感覚が味わえたようで試合後はとても満足していました。
そして現在、以前働いていたところで知り合った方が救助した、多分、ネグレクトという虐待を受けていた元競走馬を、週3回調教し、3ヶ月後、どんな人でも騎乗ができる馬に育て売却するというプロジェクトに関わらせてもらっており、1回のセッション、、、(騎乗できるほど人間を信じていないので、今はランジングのみ。まだとても乗れる状態ではありません。)50ドルの報酬をもらっています。またこの話は別の機会にさせてもらいます。
ということで、この4ヶ月の間、次女の周りには、相棒の犬や馬が増え、また、プロジェクトに関わらせてもらったり、友人の馬に騎乗し写真撮影があったりと、いろんなことが起きています。今後はしばらく、忙しい時期が続くと思いますので、時間を置かずにご報告できたらと思っています。
これからもよろしくお願いします。
↑長女の犬マーズ(プードルxゴールデンレトリバー)と、次女の犬フィーフィー(トイフォックステリア)
2021年2月25日木曜日
【2032年ブリスベンオリンピック開催地となるか!?】やっと自宅に戻りました。
2021年2月16日火曜日
【短いレッスンでも十分】イングランド代表選手からレッスンを受けた時のはなし
オーストラリアはイギリスの植民地だったという歴史もあり、今でもイギリスとの交流が盛んです。
夫の両親はイギリスからの移民なので夫はオーストラリアで生まれた一世ということになります。義母は、ロンドン生まれロンドン育ちで、とてもエレガントな人でした。
話が外れましたが、、馬場馬術のイングランドチームはオリンピックや国際競技でも1、2位をドイツやオランダと争う強豪チームです。
2018年、次女の働いていた厩舎のオーナーが2016年リオデジャネイロオリンピックイングランドチームメンバーの一人、スペンサーウイルトン選手を招きレッスン会を開催しました。
次女は、当時担当していたポニーで2度ほどレッスンを受けさせてもらったのですが、ウイルトン選手からは問題点を指摘され、それを改善するためのやり方を教えてもらい、それをポニーとのトレーニングに取り入れていたそうです。その後、ポニーとのパートナーシップは劇的に向上し、最終的にはアドバンスの競技にも出場することができました。
どんなに短時間のレッスンでも、経験豊富な選手やコーチから教えてもらえることは数多くあるものだなぁと私も感心しきりでした。
これからも次女には、いろんな人に会い、たくさんの現場を見て、学ぶ機会が多くあってほしいなと、思います。
ポニーは慢性的に患っていたせん痛(コリック)の症状が酷くなり、昨年早々に亡くなりました。牝馬享年8歳。人の馬への接し方が悪ければ改めるまで反抗するという、、、次女にたくさんのことを教えてくれた、とても賢い良い馬でした。


















