当時、次女は変わらず障害飛越競技の選手になると信じて疑いませんでした。
ですが、ある日、障害飛越ジュニアの上級者クラスへの進級テストに落ちてしまい、これがきっかけで、次女は馬場馬術へ種目変更します。
私は、いつ頃からか、高校卒業後はオーストラリアへ行ってしまう長女の日本での最後の思い出として、長女を馬場馬術の全国大会に出したいという夢を抱き始めました。今から思えば、浅はかで、恥ずかしいくらいです。馬場馬術の世界を知っていたら、そんな夢も持たなかったと思います。
知らぬが故に、私は、夢実現の可能性を探るため、今までお世話になったいろんなクラブのコーチに相談しました。ですが返事は当然といえば当然、良いものではなく皆消極的でした。それでも諦めきれず、いつも親切にアドバイスをくださる方に相談してみると、あるクラブを紹介されます。相談後の週末には二人を連れてトライアルレッスンを受けに行くことになり、トライアル後、そのコーチに全国大会への可能性を聞いてみると、喜んで引き受けて下さったのです!こういう人にこそ会いたかったんだと、その時は運命を感じ、本当に嬉しかったです。
ですが想定外だったのは、そのコーチはトライアルの時点で次女の才能を見抜いたのか、次女こそ全国大会へ出すべきだと言ったことでした。当時私は、まずは長女の思い出作りと必死だったので、長女の出場は必須でした。コーチも、渋々、賛同して下さったのですが、馬への負担を考え、長女のみの騎乗という条件となり、それを次女に説明した時は、さすがに大泣きされました。それでも、良い馬に触れる機会があることは良い経験になるからと説得し、本人も納得。晴れて二人で馬場馬術のクラブへ通うことになりました。
それからしばらくしてコーチから、やはり次女も出場してみてはと言われ、馬には大変だったと思いますが、二人で同じ馬で、L競技とM競技で全国大会を目指すことを目標に、頑張ることになりました。
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