2023年9月28日木曜日

泣いていたのもつかの間…始まります!

泣いていたのもつかの間。

終わった、これで最後😭と…

ローワンを手放すと聞いたときは

今までの出来事が脳裏を走馬灯のように駆け抜け

泣いた泣いた、、、わたしが。


安定した仕事に就くとのことで就職活動も始め、

順調にローワンの買い手もつき

悲しい反面、これで普通の人生を送れるのかなと思い

夫と安堵したことも確か。


今まで次女の人生の全ては馬を中心に回っていた。

日本に来ることも17歳以来叶わず。

休暇もとらず、友人関係も全て馬つながり。


馬関係者にアジア系が入ってないことを見破られては不利と

髪を金髪に染め上げ、日本人であることを否定したがった。


私が厩舎へ来ることは嬉しそうではあったけど、

私が見たまんまアジア人であることで次女に嫌な思いをさせないだろうかと、

馬を見に行くたび母である私が萎縮した。


差別される=変えられない自分を受け入れてもらえない気持ち

とはこういうことかと。


最後働いた厩舎では『もうダメだな』と…

お互い口に出してしまえば絶対に次女は苦しくなるだろうと

思うような辛いことや納得がいかないこと嫌なことが次から次へと起きた。


今から思えばそこが転機となった。

次女は、方向転換を試み、いろんなことに挑戦した。

なんとか着地点を見つけようと探っていたんだろうなと思う。


大学は経営学部に入学したけれど

働くと言い一年後休学。


ローワンを売ってすぐ不動産会社に職を得て現在フルタイムで勤めています。

自分の時間ができたことや金銭面の不安もなくなり

今年の夏、私たちが住んでいる東京へ5年ぶりに来日。


私の母にも会いに新潟へ。

7月の異常な暑さの中の来日。

たった1週間の短い滞在でしたが

自分を育んでくれた日本という国に感謝の気持ちや

日本人でもある自分を肯定する気持ち、

今の自分があるのは日本で出会った数々の人との出会いの中で生まれたんだと

馬を通して本当にたくさんの方に助けてもらいながらここまで来れたんだと

そういう気持ちを伝えてくれて

帰り際、次女、羽田で号泣。

彼女の人生における一つの章が終わったなと、、、

わたしの中でも、何かが終わったなと感じた1週間でした。

オーストラリアでは嫌だと感じる出会いばかりがあったわけではありません。

馬を通した中で、良き友を得たり、

日本にい続けていたら得ることができなかった知識や、

オーストラリアで自分の常識が全く通用しなかったからこそ生まれたど根性。

どれだけ馬が好きなのかということも試されたと思います。

わたしも結構放ったらかしでした。

悔やむこともありますが、、、いやいや、、、

わたしは次女がいつ辞めてもいいからという気持ちがあったからこそ

手を出さなかったこともある。正当化しすぎかな?まぁいいや。


そんなこんなで第何章かわかりませんが

次女と相性が良い牝馬と新たなスタートを切ることになりました!


7歳。牝馬。オーストラリア国産馬。165.1cm。


父 Questing R (オーストラリア国産馬)

母 Regardez moi 系(一番初めに自馬として迎え入れたROMIの父) 



(↑父 QUESTING R) 

画像はhttps://www.ryanshorses.com.au/ よりお借りしています。


 
Quando Quando ↑(ひいひいひい爺さん?)

という系統を持ってオーストラリアで生まれ
メルボルン郊外で育った
 クイニー (Qualia) ↓


と、気持ちを新たに、
以前お世話になった、そして、わたしを始めて夕食に招待してくださり
本当にわたしにオーストラリアで始めて優しく接してくださった
厩舎のオーナー宅に預けて
仕事帰りと土日に通うことになりました。

可能性はまだまだ未知。
ライフワークバランス良く
次女が楽しんで
クイニーとの新生活を送れることを
願っています。


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